東海大相模のピッチャー菅野悠選手が注目を集めていますね。
菅野悠選手は背番号13でエースではありませんが、エース級の実力を持っている選手です。
そんな実力を持っている菅野悠選手の父親も野球選手だったのか気になりませんか?
菅野悠選手の祖父は茨城県にある鹿島学園野球部の鈴木博識監督で、プロ野球選手を育成していた名将監督なんです。
菅野悠選手にとって初めて指導者で祖父でもある鈴木博識識監から、どんな指導を受けてきたのか気になりますよね。
今回の記事では、菅野悠選手の父親も元野球選手だったのか、祖父で現役監督を務める鈴木博識監督とはどのように過ごされていたのか紹介しますね。
菅野悠(東海大相模)の父親は元野球選手?
東海大相模高校野球部の菅野悠(かんのゆう)選手の父親が元野球選手という情報はありませんでした。
父親は野球選手ではない?
菅野悠選手の父親は元野球選手だった可能性は低いです。
メディアでは菅野悠選手の母方の祖父が野球部の鈴木博識監督との紹介はありますが、父親のことは紹介されていません。
鈴木博識監督が父方の祖父だったら、菅野悠選手の父親も野球選手だった可能性は高くなりますよね。
今後、父親の話も聞ける時がくるのではないでしょうか。
母親は?
菅野悠選手の母親についても詳しい情報は公表されていません。
しかし、母親の父親は菅野悠選手の祖父、鈴木博識監督です。
父親にあたる鈴木博識監督が、現役野球選手だった頃には球場で試合観戦や練習も見に行って野球との強い関りがあったのではないでしょうか。
そして、息子である菅野悠選手も3歳から野球ボールを触り現在は高校球児として有名です。
母親は父親、息子が野球選手ということで野球への思いや関りが濃いのがわかりますね。
祖父は鹿島学園野球部の鈴木博識監督
菅野悠(かんのゆう)選手の祖父は茨城県の鹿島学園野球部の鈴木博識監督です。
鈴木博識監督プロフィール
鈴木博識監督のプロフィールをまとめました。
【名前】鈴木博識(すずきひろし)
【生年月日】1950年6月26日
【出身地】栃木県
【出身高校】栃木県立小山高校(野球部所属)
【出身大学】日本大学(野球部所属)
【職歴】三菱自動車川崎(社会人野球)
【現職】鹿島学園高等学校野球部監督(2016年~)
現在75歳の鈴木博識監督は現在も現役監督で、野球経験が人生の半分以上ある方です。
菅野悠選手にとって、とても心強い存在なのではないでしょうか。
鈴木博識の球歴
鈴木博識監督の野球歴をまとめました。
年 | 球歴 |
1968年 | 栃木県立小山高校のエース投手として、1968年夏の甲子園出場 |
1969~1972年 | 日本大学に進学し野球部に所属 |
1973年~1980年頃 | 三菱自動車川崎に入社し、社会人野球選手としてプレー |
1981~1985年 | 青森商業高校野球部監督 |
1987~1995年 | 日本大学藤沢高校野球部監督(1995年夏の甲子園出場) |
1996~2009年 | 日本大学野球部監督 |
2001年 | 日米大学野球選手権日本代表コーチ |
2016年~現在 | 鹿島学園高校野球部監督(21年夏初の甲子園出場) |
鈴木博識監督は、自身も選手として甲子園出場経験があり、監督としても甲子園出場されています。
選手レベルが高い、大学野球の日本代表コーチの経験もあり、凄い経歴の持ち主ですよね。
プロ野球選手も指導していた
鈴木博識監督は日本大学野球部監督時代に、プロ野球選手を指導していた実績があります。
- 村田修一:元横浜→元巨人→元栃木ゴールデンブレーブス→現DeNA野手コーチ
- 館山昌平:元ヤクルト→指導者・野球解説者
- 長野久義:元巨人→元広島→現巨人
プロ野球界で有名な選手ばかりですね。
また、日本大学藤沢高校野球部監督時代に指導した選手もプロ野球選手になっているんです。
尾形佳紀:元広島→現スカウト
鈴木博識監督は、大学からプロ、高校からプロへと導いていた名将監督ということが分かりますね。
菅野悠の最初の指導者
菅野悠選手にとっての初めての指導者は、鈴木博識監督です。
庭にブルペンがあった
菅野悠選手と鈴木博識監督の家は隣にあり、庭にブルペンを作ってボールを受けていたそうです。
気が半端なく強くて、すごく野球が好きな子です。小さい頃から人を頼らず、何でも興味を持って自分で調べるのが大好き。隣に住んでいたんですが、庭にブルペンを作って、3歳の頃から毎日ボールを受けていました。一番じゃないと気が済まない子です」
引用:スポーツ報知
菅野悠選手は、3歳の時からポジションは投手と決めていたんですね。
負けず嫌いは祖父の教え
菅野悠選手の投球に対する思いは、祖父からの言葉が大きく影響しています。
「投手は負けず嫌いじゃなきゃできないぞ」と幼い頃から教えられてきた。
引用:スポーツ報知
絶対に負けない!という思いが、現在の粘り強い投球に繋がっているんですね。
祖父と甲子園出場を目指す
菅野悠選手は、祖父、鈴木博識監督と共に甲子園出場を目指しています。
ともに甲子園に出場すれば、同年に祖父と孫が別々の学校で出場する珍しいケースとなる。互いに勝ち進んでおり「祖父と対戦したい」。聖地での“競演”を目標に菅野はひたむきに腕を振る。
引用:スポーツ報知
共に甲子園に出場すればライバルになりますね。
祖父と孫の関係でもあり、ライバルとなる対戦を是非見てみたいですね。
菅野悠(東海大相模)プロフィール
東海大相模の菅野悠選手のプロフィールや経歴を紹介します。
プロフィール
菅野悠選手のプロフィールはこちらです。
【名前】菅野悠(かんのゆう)
【生年月日】2007年9月24日
【身長】175㎝
【体重】80㎏
【出身地】栃木県
【出身小学校】小山市立小山第三小学校
【出身中学】小山市立小山第三中学校
【中学時代の所属チーム】栃木下野リトルシニア
【高校】東海大相模高校
【ポジション】投手(背番号13)
【投打】左投左打
【球速】最速139km/h
菅野悠選手は、2025年夏の高校野球神奈川大会で先発で出場し、エース格として登板しています。
球速は、現在の高校野球界ではずば抜けて速いわけではないですよね。
菅野悠選手はノビのあるストレートを武器に、スライダーとチェンジアップをうまく使い分けるテクニックに優れた左ピッチャーなんです。
野球歴
菅野悠選手の野球歴をまとめました。
時期 | 所属・在籍校 | 主な実績 |
---|---|---|
小学時代 | 城東クラブ | 小学1年生「城東クラブ」入団 |
中学時代 | 小山市立小山第三中学校 所属:栃木下野リトルシニア | リトルシニア日本選手権に出場 |
高校1年 | 東海大相模高等学校 | トレーニング中心で下級生大会実績あり。 ベンチ入り記録は確認できず |
高校2年 | 東海大相模高等学校 | 秋季神奈川県大会出場 2試合登板、防御率13.5 対横浜戦で2回2失点 |
高校3年 | 東海大相模高等学校 | 春季大会で登板(1試合、防御率9.0) 夏の県大会では複数試合に登板し、最長8回無失点を記録 背番号13の投手として、主に9番打者で先発・中継ぎで出場 |
菅野悠選手高校2年生の時から公式戦に出始め、今では先発投手も任される選手です。
2025年7月20日の法政二戦では8回5安打2失点のコールド完投勝利も記録しています。
成長が著しくまだまだ活躍が期待できる選手です。
まとめ
東海大相模高校野球部の菅野悠選手の父親が野球選手だったという情報はありませんでした。
菅野悠選手の母方の祖父が鹿島高校野球部監督の鈴木博識監督です。
鈴木博識監督は、自身も甲子園に出場経験があり指導した高校も甲子園に導いた経験のある方です。
また、指導した中にはプロ野球選手になった生徒も多くいる程の名将監督です。
菅野悠選手は、幼い頃から祖父であり野球の最初の指導者である鈴木博識監督から熱血指導を受けてきました。
現在のピッチャーとしての精神力や粘り強いピッチングは、鈴木博識監督の指導があったからなんですね。
この夏、祖父VS孫の戦いが甲子園球場で見ることができるかもしれませんね。
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